2話
円周率は、3.141592653589793。
クラスの誰かが言い出した。自慢げに言い出した。
「知ってる? 円周率はね、3.141592……」
少しでも長く言えるのがスゴイ事とされた。競って暗記した。算数に、計算に役に立たなくても、暗記した。教科書に書いてある数字なのに少し面白くて、なんだか不思議な数字。
3.141592……。
「お前、好きな人いるの?」
「そんなのいねーよ」
最近クラスの女子と一緒に遊ばなくなった。遊びたい気持ちが完全に無い訳じゃないけれど遊ばなくなった。コーヒーを飲む大人が少し格好良く見えた、本当は苦くて、美味しいだなんて思ってないのに、平気なふりをして飲んでいた。
「でもさ、お前が咲崎と一緒いるの見たって」
「あれは咲崎が僕の家に用があったから案内していたんだよ。咲崎の親とお母さん仲がいいからさ。そうそう、この前の旅行のお土産を持って来てくれたんだ。それで家を教えるために一緒にいただけだよ」
つい必死に言い訳してしまって、後でわざとらしくなかったか心配になった。本当は『サキザキ』の名前を聴くだけでドキッとして、『咲崎』の名前を見るだけで胸が高鳴った。隣に咲崎がいて一緒に帰るだなんて、緊張しすぎてその日に何を話したのか覚えていなこともあった。
昨日、咲崎が僕の目を見て言ったんだ。
「あのね、わたし、慎吾くんのことが好きなんだ」
学校の帰り道に待ち伏せしていた咲崎。そしてどこか挙動不審な僕。
咲崎は確かに僕の目の前にいて、僕に気持ちを伝えてくれた。
僕らは、次の日から一緒に帰る約束を交わした。
「三樹ちゃんってかわいいよな」。幼稚園のころからずっと一緒で、今まで野球にしか興味なかった山田が言った。顔に締まりが無い、崩れた顔で言った。
「俺は絶対に塩田さんだな」
「えー塩田かよ」
「なんだと、かわいいじゃないか塩田さん。それにこの前けしごむも拾ってくれたし」。後藤が言った。なによりも走るのが好きで体育のリレーの時は凄く張り切るのに、ドッチボールになると急にやる気を無くす後藤が言った。
「慎吾、お前も好きな人いるの?」。二人の視線が僕に集中する。
「そんなのいねーよ」
思わずそう答えた。例え親友でもなぜか言えなかった。こんなに毎日胸がドキドキしていることを言えなかった。なんだか恥ずかしかった。皆にからかわれるのが怖かった。
「ねえ俺達のことなんだけど、皆には内緒にしてくれないかな?」
「えっなんで? 別に悪いことしてないじゃん」
「そうなんだけど、なんだか恥ずかしいし」
一緒に帰ることになって三日が経って、咲崎との関係がウソではないことがだんだん心に染みて来ていた。人前では嬉しい素振りを見せなくても、部屋に帰ってからその事実が嬉しくて、マクラに飛びついて咲崎のことを想ったりもした。
「慎吾君がそうして欲しいならそうするけど、でも多佳子には言って良いよね? 親友だからさ」
『親友だから』そう言われ、一瞬山田と後藤のことが頭をよぎった。親友ってなんなのだろう。やっぱり親友には何でも話さないといけないのだろうか。
「うん、多佳子ちゃんだけならいいよ」
本当は少し迷っていた。
でもこんな提案をしてしまう僕だ、断る勇気なんてなかった。
「わかった。明日も一緒に帰るのが楽しみだね」
「うん、そうだね」
すごく嬉しいのに誰にも知られたくない秘密ができた。
遠回りをして、皆が通らなそうな道を歩いて帰った。
つづく
1話へ
3話へ
|