5話
だれも居なくなった静かな教室に一人残り、咲崎のことを想った。
赤いコンパスを見ていると、昨日のことを鮮明に思い出すことができた。
「ジャーン。これあげる」
咲崎はそれまで背中に隠していた両手を勢いよく前に出し、
陽気に話し出した。
「かわいいでしょ? あのさ、先生が、来週の授業から使うって言ってたでしょ? それでね、私、昨日文房具屋さんに行ったんだ。そうしたらこの子を見つけてさ、この一本白い線が入っているところなんかちょっぴりお洒落じゃない? 真吾君、持ってないって言ってたし、いいなって思ってさ」
咲崎が僕に差し出したのは、真っ赤なコンパスだった。
「確かに女の子が使うとかわいいかもしれないけどさ、俺が使うの?」
「あっ、ごめん。そうだよね、ついかわいかったから買っちゃたんだけど。そうだよね、男の子が使うには女の子っぽすぎるよね……」
咲崎の表情が曇りだす。この顔は反則だ、こんな顔されて突っ放せるほどの度胸が僕にあるはずがない。
「いや、俺も買わないといけないと思っていたから、一応貰っとく」
「そっか、ありがとうね」
今日の咲崎のお天気は、曇りのち晴れ。
「ううん、貰ったのは俺だから。ありがとう」
「へっへっへ、あのね、実は私も持ってるんだよ」
咲崎は鞄から自慢げにもう一つコンパスを取り出した。自分用に買った赤いコンパス。
「コンパスなんてそんなに種類ないし、お揃いでも平気だよね?」
同じ教室で、お揃いのコンパスを使うなんて正直不安がよぎったが、使わざる得ないと思った。咲崎のこんな表情を目の前で見てしまったのだから。
家に帰って自分の部屋に入ると、さっき貰ったコンパスを取り出して眺めた。そして今日咲崎と交わした会話を、表情を思い出した。依然不安はあったが、悪い気はしなかった。
家族が部屋に近づく足音がするとあわてて机の引き出しにコンパスを隠した。コンパスを持っていることを見られてもそんなに慌てる必要なんてないのに、
その足音は僕を激しく動揺させた。
「ねぇ何してるの?」
委員会の話し合いを終えた咲崎が僕の元にやって来た。
「んっ、落書き」
机の端っこ。コンパスで三角を描いた。特に意味なんてなかった。ただ咲崎のことを考えて待っている間、時間を持て余して書いた三角形だった。
「なにこれ、三角? 好きなの三角形?」
「別に何でもないよ。そうだ、はんぺんだよ、はんぺん。おでんのはんぺんって
美味いもん」
「なにそれ」
咲崎が笑う。彼女の笑顔はとても魅力的でずっと見ていたかったけど、やっぱり恥ずかしくて、ずっと見つめることなんて出来なかった。
「そうだ、ただの三角よりこうした方がいいよ」
咲崎は僕の手からコンパスを取ると、先端の針をつかって木製の机をゆっくりと削っていった。
「ほら、これの方がいいじゃん」
僕のはんぺんにハートマークと一本の棒が付け足された。
「ちょっと鉛筆貸して」
「こうすると、もっといいでしょ?」
はんぺんで出来た傘の下には、僕と咲崎の名前が仲良くならんでいる。
「名前の所は鉛筆だから消せばわからないでしょ? 本当は消すのもちょっと嫌だけど。さすがにマズイもんね」
自慢げに言うと、咲崎は口を横に大きく広げ「にかっ」っと笑ったのだった。
窓の外ではすっかり枚数を減らしたもみじの樹から葉が、ひらひらと落ちていた。
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