6話
「しんごー、これなんだよ」
「なになに、おっやっぱりオマエ咲崎のこと好きなんだろ?」
日本のどこか、僕の知らない町で初雪が観測された頃、机に刻まれた僕と咲崎のはんぺん傘の下では二人の名前が仲良く並んでいた。
「へー、やっぱり慎吾そうだったんだ」
体育の授業を終えて教室に戻ると、遠藤が騒いでいた。
瞬間、何事を起きたのかわからなかった。だけど僕の机に人だかりが出来ていることで察知がついた。
遠藤はなにかにつけて騒ぐ奴で、厄介な奴だった。
「ちょっとみんな、慎吾の机見てみろよ」
昨日、皆が帰って誰もいない教室で、仲良く二人で書いた名前。すっかり書くことに慣れた僕らは、仲良く雨宿りする二人の名を消し忘れてしまっていた。
「それはなんでもないよ」
とぼけてみたが、誰の目にも僕が焦っていることは明らかだったと思う。
そして、クラスの誰かが発した言葉が、僕をさらに追い詰めた。
「ウソつけ。お前が咲崎と手を繋いで歩いているの見たことあるんだぞ」
その言葉が、本当かどうか判断をする余裕なんてなかった。羞恥が一気に身体中を駆けめぐった。
「なんでもないって言ってるだろ! 俺があの咲崎みないなブスのこと好きなわけないだろ。そんなこと言われて迷惑なんだよ」
柄にもなく怒鳴った瞬間だった。騒いでいた奴らの動きがピタリと止まった。
最初は僕の怒鳴り声に驚き、萎縮していると思ったが、違った。そろった視線は、開かれた扉を見ていた。
その時の咲崎の表情は決して忘れることなんて出来ないだろう。
あの悲しみに満ちた表情を……。
あんなにかわらしく笑う咲崎。口を横に大きく広げて「にかっ」と笑う咲崎。
あの咲崎の笑顔は、もうそこにはなかった。
その日いくら待っても教室に咲崎が戻って来ることはなかった。
後で咲崎が早退したこと知った。
次の日、早起きをして学校に行った。誰よりも早く登校したかった。咲崎が来たら謝るつもりだった。
開き慣れているはずの教室の扉がやけに重く感じた。胸に響く重みだった。昨日この扉を開けて教室に入って来た瞬間、僕の言葉を聞いた咲崎はどれほど傷ついたことだろう。
意を決して重い扉を開くと、自分の机へと向かった。一歩一歩、咲崎の思いをかみ締めるよう、ゆっくり歩いた。
たどり着いた、思い出の場所。
二人でいろんな話をして、名前を書いた机。
机の上には一人ぼっちのコンパスが置かれていた。誰もいない教室、僕の机の上に置かれた赤いコンパス。
机の上に刻まれた、小さな愛の印、それは傷ついていた。ギタギタに削られ、元が何であったのか判断できぬほど大きなキズを負った傘。そして傷はコンパスにもついていた。トゲの欠けた、赤いコンパス。
コンパスに触れると、鉄製のコンパスはとてもヒンヤリしていた。以前はあたたかく見えたコンパスの赤が、その時はなんだか冷え切った残酷なアカに感じた。それは僕に対する見せしめのようにも思えた。先の欠けたコンパスは、時間はもう戻らないのだと僕に知らせていた。
咲崎の心と共に傷ついた。コンパス。もう戻らない、咲崎の笑顔。もう戻らない時間。
僕は彼女に何をしてあげたいと思っていたのだろうか。
彼女はこんな僕のことを「好き」と言ってくれたのに、こんな僕をいつも気遣ってくれていたのに。
僕はそんな彼女に甘えてばかりだった。周りの眼に怯えて、一番大切なものを失った。
結局、僕の口から咲崎へ「好き」だと伝えたことは一度もなかった。
コンパスは悲しかった。自分が欠けたから、そんなことではない。とても胸が苦しかった。
文房具屋で咲崎さんが自分を手にとってくれた時の本当にうれしそうな顔。慎吾君に渡す前、ぎゅっと握って「よろこんでくれるよね?」と話し掛けてくれたこと。二人で愛のこもった傘を書いた時のはにかんだ笑顔。
どれもこれも素敵な『想い』だったのに。
そして彼女が最後に触れてくれた時のことを思い出した。
涙をながしながら、力いっぱい握り締めて傘を削ったことを……。
「お兄ちゃんこれありがとうね」
「ああ」
弟から兄へと返されたコンパス。赤いコンパス。先の、トゲの欠けたコンパス。
兄は、そこに刻まれた想いを強く握りしめ、再びそれを引き出しの奥へと
しまった。
おわり
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